もともと、小学校から丸刈り坊主頭だったこともあって特に違和感はなかった自分。
当時の地元中学校では校則で丸刈りにすることが決まっていました。
当然のことながら髪を伸ばしていた同級生は
「坊主になりたくねぇ・・・」
と嘆いていたのを覚えています。
ついでに、制帽も存在していて、制服での登下校や修学旅行など校外でのイベントごとには必ず制帽をかぶっていました。

修学旅行の写真は制帽かぶってる
いつの時代だよ・・と感じるかもしれませんが、30年位前の話なのでそんなに大昔ではありません。
そもそもは、1970年代に校内暴力が社会問題化したことが始まりらしく、「髪型の乱れが不良行為を助長する!!」という趣旨だと思いますが、今になって考えてみれば問題の根本的解決にはなっていないような気がします。
自分が中学生だったのは1980年代前半。
日本の3分の1程度の学校が丸刈り校則を定めていたらしい時期なので、最盛期と言えるかもしれません。
それでも、近隣の数十校あった中学校で丸刈りを定めていたのはうちの学校くらい。
思い返せばいろんなエピソードが有りました。
問題起こせば公開坊主
坊主と言っても長さはそれぞれで、基本的には指で髪の毛を挟んで指から髪がはみ出なければクリア。

考えてみれば、測る人の指の太さで微妙に違うよねっていう
少しでもはみ出れば「短くしてこい」と、生徒指導の教師からソフトな指導が入ります。
以下のような場合には、校内でアタッチメントなしの0.5mm(いわゆる5厘)で問答無用の公開坊主の刑に処されます。
- 髪の毛が盛大にはみ出る
- 不良行為をしたことが発覚(飲酒、タバコ、万引き、いじめなどなど)
- 制服の乱れ(ぼんたん、短ラン、長ラン・・)
カットは諦めがつきやすいように、おでこの上から後ろに向かってまっすぐバリカンを走らせます。
逆モヒカン状態ですね。
力付くでバリカンを抑えようとする人もいましたが、抵抗虚しく最後は青々とした坊主頭になってました。
ま、今の時代なら虐待と言えるかもしれませんが、当時はそれが当たり前。
親が学校にきた、なんていうことも、悪さして呼ばれることはあっても、先生に意見しようとしてくることはほとんどなかったと思います。
個人的には良い悪いがはっきりしていて、悪ければ罰をうける、でわかりやすかったのでいい時代だったのかなと親になってから感じるようになりました。
なにかあればすぐに親が出てくる家庭も多いので、今の先生がたはつくづく大変だな・・と思います。
中学校の交流で歓声が上がる
そんなこんなで、近隣の中学校の中で丸刈り校則があったのはうちだけだったわけで。
地方の合唱コンクールというのがあって、毎年3年生が出場しているイベントがありました。
出場順がくるとステージ前に階段状に並べられたひな壇に、男子女子が左右に分かれて整列。
最初と最後にお辞儀をするんですが、
~(ピアノの音)~
ジャ~ン(きょうつけ)
→ジャ~ン(お辞儀をする)
おおおおっ・・・・!!!
ジャ~ン(戻る)
お辞儀をした瞬間に、他校の生徒から歓声が上がるのが恒例。
お辞儀をした瞬間、坊主に慣れていない他校の生徒が、丸坊主が一斉に並ぶのが衝撃だったみたいです。
人違い確率が高い
同じ制服、同じジャージ、同じ通学カバン。
必然的に見分ける難易度が上がります。
さらに坊主頭なので、背格好、頭の形が似通っていると後ろから肩をたたいたり、頭を叩いていたずらするのはほぼ「賭け」です。

あ(笑)ごめん、間違った
町外に行くと学校がバレる
友達と町外に買い物にいくと、坊主頭が3つ4つ並んでしまうので、どこの中学校かバレます。

〇〇中学だよね?
でも結果坊主で良かったと思ってます
思い返せばそんな特殊なエピソードがあれこれ出てきます。
自分はもともと坊主だったのでなんの抵抗もありませんでしたが、長髪だった友人たちはとにかく嫌がってました。
それでもなんやかんやとみんな坊主にして学校通っていたし、なにかとネタになることも多かったので他の学校に比べると貴重な中学校生活だったと思ってます。
丸刈り校則のその後
ちなみに、世間的には丸刈り校則は反対の波が強く、
- 2000年(平成12年)「中学校の丸刈り校則をなくす会」のサイトが立ち上げ」
- 1985年段階では日本全国の3分の1の中学校にあった丸刈り校則も、2008年時点では50校前後
と今ではほぼ皆無に等しい。
ということで、現在も坊主で貫き通してますが、日焼け対策とハゲ隠し(軽くハゲてます)で変な帽子を被ってたら中東系(たぶん)の人にお辞儀されまくるという不思議体験をしました。
